【浮世絵つき】映画『ミスター・ガラス』を3分レビュー〈短評〉

映画 浮世絵 浮世絵風 イラスト ミスターガラス イラスト Kenji iwasaki  岩崎健児 Mr.glass ukiyoe イラストレーター 日本風

IWAっす!

今回は映画『ミスター・グラス』を
浮世絵風イラスト付きで3分レビューします。

(今回は短評にしましたので
3分以内で読めるという噂)

 

大のシャマラニストである僕は
今作を観てそれはもう
しっかりと泣きました。

M・ナイト・シャマランという男が
『シックス・センス』から脈々と
語り継いできた”孤独であること”
についての解釈や救い。

今作はその全てを内包し、
シャマランワールドここ極まる!
という言葉が合致する逸品でした。

 

※今作のネタバレはしていませんが、
『アンブレイカブル』と
『スプリット』の核心に触れています

 

あらすじ

イーストレイル177号脱線事故から19年。

不死身の体を持つデヴィッド(ブルース・ウィリス)は自警活動を続けながら、”群れ”と呼ばれる多重人格犯罪者ケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)を追っていた。

遂に”群れ”の居場所を突き止めたデヴィッドとケヴィンの2人の激しい格闘も束の間、彼等は警察に包囲・拘束され精神病院に収容されてしまう。
そこにはかつて大惨事を引き起こした”ミスター・ガラス”ことイライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)も収監され、保護されていた。

そして彼等を拘束した女性精神科医エリー(サラ・ポールソン)は彼らにある実験を試みるのだった…。

 

本当のスーパーヒーローとは一体誰なのか?

 

「「パトリシアさんがカメラ目線で話しかけてきてくれる!」」

“イーストレイル177号三部作”完結編
である今作は、そういった
ややどうかしているベクトルを
冒頭に持てる熱狂的シャマラニスト
(もちろん僕も)にのみ向けて作られた逸品。

『アンブレイカブル』から
端を発したガラス氏の
“あこがれのヒーローさがし”は、
コミックブックそれ自体の存在意義を
我々観客に投げかける問いへと発展する。

 

MCUやDCFUがスタンダードになった
昨今において、
コミックとは歴史か?欲望か?
はたまた娯楽か?などの問答を
今作は繰り返し語りかける。

そして、
「本当のヒーローとは一体誰なのか?」
というシャマランの解答が
スクリーンを超えて我々に突き刺さり
文字通り“覚醒”を促されるラストに拍手喝采

 

デヴィッド、ケヴィン、
そしてイライジャが
この19年間でそれぞれ体現した
3作の“コミック”を観て、
次は私達が明日から自身をどう体現するのか。

全3作の荒唐無稽な設定の裏には、
コミックの向こう側にいる
我々に向けたそんな温かい
投げかけが存在し、
それが極に達するラストで今作は幕を閉じる。

 

唐突な設定や急ごしらえな物語部分も
散見されるが、それをお馴染みの
ご愛嬌として楽しめる、
イイ意味でややどうかしている観客
(再度僕を含む)しか
そもそも観ていないため、
シャマラニストは1秒でも早くご鑑賞を。

 

まとめ

〈※鑑賞後にお読みください〉

 

僕も含めて、
シャマラン作品が好きな人の多くは
社会のマジョリティ=正義
という図式を決して許さない人種だと仮定している。

 

祭り上げられた絶対的正義だけを
ヒーローとは認めず、
日常の中で・生活の中で一人一人が
誰しも英雄であり、

世界を動かしていくのは
私たち自身なのだとシャマラン作品は
いつの時代も語りかける。

 

そんなシャマラン節究極体の今作から
我々シャマラニストに向けた全力の愛に
自然と涙が溢れた。

ちなみに、
初日の満席のレイトショーでは
各席ですすり泣きがちらほら聞こえる程だったっす。

 

ありがとうシャマラン大好きだぜえええ!

 

それではまた次回!

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