こんにちは!
浮世絵スタイル画家のIWAと申します。
東京都在住、
絵を描きながら生活している
常に眠い系シティ・ボーイっす。
僕はこれまで、
やりたいと思ったことは全部やるという
スタンスで生きてきました。
興味の赴くまま、
やりたいこと最優先主義を掲げ、
「楽しそう!」と思ったことには
貪欲に手を出し続けてきました。
遊びも趣味も、
もちろん仕事もです。
その結果、
人生が良い意味でどんどん
激変していきました。
今回はその一部をお話します。
僕がどういう人物なのか知って頂けると
嬉しいっす。
Contents
好きなことを続けていると
人生は激変するっぽい
僕は幼少期から、
気付いたら絵を描いている子でした。
しかし親戚も含め、
僕の家系には絵が描ける人物は
誰一人としていませんでした。
誰に教わったという訳でもなく、
僕自身なぜ絵を描き始めたのかが
全く記憶にありません。
そのため今でも僕は自分のことを
突然変異のミュータントだと
思っています。笑
ですが、昔も今も
「描きたい」の一心で作品を制作している
ことに変わりはないっす。
そんな僕の作品が、
知り合いを中心に徐々に
広がりを見せていったのは
数年ほど前からでした。
僕が絵を描いていることを知り、
知り合いがコンサートのポスターを
依頼してくれたり、
ある時は雑誌に絵を掲載して頂いたりと、
僕はポツポツと絵の実績を
増やしていきました。
そのうちに、
グループ展や展示会への出展のお誘いが
舞い込むようになりました。
絵を描いている知り合いからはもちろん、
見ず知らずの方からのお誘いをメールで
頂くこともちょいちょいありました。
メールボックスを見て
「誰だこれ?笑」と混乱することも
しょっちゅうでした。
僕はたまにPixivにも絵をアップしています。
ある日、一通のメッセージがPixiv経由で
届いていたので、
また初対面の方からかな?
と思いメッセージを開いてみました。
すると、それはなんと
ロンドンのギャラリーでグループ展に
出展しないかというお誘いでした。
一瞬、怪しい誘いでは?と疑い、
差出人の方の名前を調べてみると
日本人アーティストの発掘を行い、
定期的に海外展示を開催している
海外のアート団体。
ひとまず安心すると共に、僕は
「うぉおおおおおお」
と喜びの雄たけびをあげていました。
いつかは海外へ出展したい、
と思っていたので
めちゃくちゃ嬉しかったっす。
☆後日追記
ロンドンのespasio Galleryにて、
2作品のうち1点がお客様の元へ
旅立ちました!
スコットランド在住のお客様が
購入して頂き、
ご自宅に飾って頂きました。
またその展示会において、
嬉しいことに投票で銅賞を頂き
翌年のメルボルン展の無料出展が
決まりました!
僕が今、
毎日絵を描きながら生活できているのは
好きなことをやり続けてきたからこそ
だと思っています。
趣味で続けていた映画鑑賞や
江戸時代や浮世絵の知識集めも、
作品制作の面で大いに刺激を受けています。
そんな僕は今まで、
やりたい職業も全て経験してきました。
モテたい!
アパレル販売員になってみた
美術大学卒業時に
就職活動を全くしていなかった僕は
ずっとやりたかったアパレルの
ショップ店員を始めました。
何故ショップ店員を
やりたかったかと言えば、
モテたかったからです。笑
今思えば随分軽薄な理由で
アパレル業界に飛び込んだものだと
若干反省しています。
ですが、
元々人と話すことは好きだったので
接客の仕事はとても楽しかったっす。
すると1日50人以上のお客さんの顔を
毎日観察しているうちに、
いつの間にか異常に鋭い観察眼が
身についてしまっていました。
接客のため、
毎日至近距離で何人もの顔を観察して
いたことで自然と人の顔の特徴を
掴めるほど「観察する力」が
身に付いてしまっていたのです。
僕は当時、
人の顔を描くことが
めちゃくちゃ苦手でした。
しかしこの時から、
僕は人の顔に興味を持ち始めます。
それから観察と練習とを繰り返し、
似顔絵の画力を着実に向上させていきました。
今ではご依頼を頂いて、
オーダーメードの似顔絵販売も
行っております。
ショップ店員を経て
似顔絵が描けるようになるなんて、
「人生ってオモシロイ!」と
思ったことを今でも覚えているっす。
ちなみに、
ショップ店員になったあとも
想像していたほどモテませんでした。
(遠い目)
カッコよさそう!
グラフィックデザイナーになってみた
その半年後、
僕はグラフィックデザイナーに
なっていた。
何故、
デザイナー職を選んだかと言えば。
グラフィックデザイナーという響きが
格好良かったからです。笑
またまた軽薄な理由で
仕事を選んでしまった僕が入社したのは、
大手出版社である小〇館の書籍を担当する
デザイン会社。
それまで僕は
Photoshopもろくに使ったことがなく、
Adobeソフトは完全に初心者でした。
そのため入社当時は、
写真の背景を切り抜くだけの作業に、
一日かかってしまったりと
中々のポンコツ新入社員でした。
しかし、このままではいけないと思い
先輩にアドバイスをもらったり
帰宅してから毎日ソフトの勉強を
したりと、自分なりに死ぬ気で
努力してみたっす。
するとそのうちにデザインの仕事を
ふられることが増え、
お客さんからも信頼してもらえるように
なりました。
「いつも丁寧で迅速な対応ですね!」と
某大手出版社の担当さんに褒められた時は
天にも昇る気持ちでした。
その会社では、
残業や休日出勤のオンパレードで
相当ハードな毎日を送っていました。
ですが、
人間死ぬ気になれば
大抵の事は踏ん張れると
この時よくよく学んだっす。
この頃に習得したAdobeソフトの
技術は今でもイラスト制作の面で大いに
役立っており、
日々インスタグラムでたくさんのイイネ
を頂いています。
主に外国の方からの
フォローやイイネが多く、
時にはイラストを売って欲しいという
コメントまで頂けるようになり、
大変嬉しい限りっす。
仕事は好きだけど会社は嫌い
人間は機械ではありません。
毎朝満員電車に乗り会社に行き、
代わり映えしないオフィスの
自分の席に座る。
クライアントと上司の間で
板挟みになり、気乗りしない仕事を
終電まで続ける。
家に帰り食事をとって、
シャワーを浴びてやっと一息つこうと
思えば時刻はもう深夜過ぎ。
疲れた頭で眠りにつけば、
また昨日と同じ一日が始まる。
そんな生活は、果たして人間的と
言えるでしょうか?
確かに働かなくては生活ができません。
家族がいる方なら尚更です。
おいそれと仕事を投げ出すことは
できないのは当然です。
僕もかつて上記の様なライフスタイルを
送っていたことがあります。
その時期はちょうど恋人と同棲を
始めたこともあり、
「生活第一」と自分を追い詰め、
毎日馬車馬のように働いていました。
当時は体に相当負担をかけていたようで
友人や同僚に、「やつれた?」と
毎日心配されていたっす。
仕事で溜め込んだストレスで
恋人と喧嘩することが日常的になり、
関係はどんどん悪化していきました。
休日は疲労でベッドから動くことができず
絵を描くことも全くできない状態に
なってしまいました。
そんなある日、
実家に帰る用事があり
自分の部屋にあった小学校の
卒業アルバムをたまたま開いてみました。
そこにはクラス全員の将来の夢が
描いてあり、
僕の欄にはこう描いてありました。
“大人になった僕へ。
僕は今絵を描くことが一番好きです。
だから多分将来は画家になっていると
思います。絶対になっててね。”
それを読んだ時、僕はハッとしました。
「僕は一体何をしてるんだ」。
翌日いつも通り会社に出社し、
残っている仕事を午前中に
全て片付けました。
そして午後一番で、
僕は会社を辞めました。
人生は一つではないらしい
会社を辞めた僕は、
さすがにいきなり画家として食っていける
はずはないと分かっていたので、
仕事が比較的楽な小さな会社に入社しました。
固定の収入を得ながら少しずつ画家になる
計画を立て実行に移すためでした。
仕事の傍ら、
画力の向上・絵の売り方・依頼の取り方を
勉強・実践しました。
それこそ死に物狂いでしたし、
この時ほど
「時間が欲しい!欲しいよううう」と
感じたことありませんでした。
そして今、
その努力が少しずつ実を結び
それぞれのが要素が影響し合いながら、
少しずつ絵の収入が増えてきています。
数年前まで会社でボロボロになる人生を
送っていた身からすると、
人生・生き方は一つじゃないのだと
今改めて実感しているっす。
それと同時に、
自分が今までしてきたことは
全て正しかったのだと少しホッとしています。
好きなことに好きなだけ取り組み、
いってみたい世界に臆せず飛び込んでいく
僕のやりたいこと最優先主義は
まだまだ検証中です。
この先もやりたいことが沢山あるので、
随時このプロフィールは更新していく
予定です。
お楽しみ頂ければ幸いっす。
是非、よしなに~!
IWAでした。
コメントを残す