どうも、IWAっす!
今回は『スリー・ビルボード』を
和風・浮世絵風イラスト付きで
3分でレビューっす!
あらすじを読んだだけでは、
どんな物語になるか想像もつかない今作。
実際に観てみると、
まさかこんな作品とは…
とウディ・ハレルソンばりに
目をひん剥かざるを得ない結果と
なってしまったっす。
それでは3分レビュー!
ミズーリ~!
※作品の核心に触れる記述はなし
Contents
人は”一枚看板”ではない
ミズーリ州の片田舎、エビング。
突如、道路沿いの三枚のビルボードに警察署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)に向けての怒りのメッセージが貼りだされる。
広告を貼りだしたのは、7カ月前に娘を殺人で失った母親、ミルドレッド(フランシス・マクドーマン)だった。
彼女のその怒りの行動は、周囲の人々を巻き込み事態は予想外の方向へ進み始める。
何度泣いたかわからない
ただ僕自身何故その時に涙が出たのかは
分からなかったっす。
後になって段々と理解できるようになる
という、初見では中々真意が掴みづらい作品となっているっす。
では何故この作品は
ここまで判然としない印象なのか?
まず我々が映画を観る際、
「この人物はこういう人間だ」
という決めつけや先入観で登場人物を
見ることが多い。
しかしこの『スリ―・ビルボード』は、
初めから終わりまで
その鑑賞者の先入観を揺るがしてみせるっす。
つまり、
“この人物はこういう経験をしてきたから
当然良い人である”や、
“こいつは絶対に悪いやつ”という、
いわば映画を観る際の
こちらのアイデンティティを全力で
ビンタしてくる作品なんす。
そして、
僕が先程書いた”泣き所”というのは、
まさしく人物像への先入観が反転する
シーンだったっす。
悪意が善意に変わり、
善意が悪意に変わるその瞬間、
例えようのないやるせなさや、
安堵感を覚える。
この意表を突かれる感覚は、
ポール・ハギス監督の『クラッシュ』
に通じるところがあるっす。
愛すべきクソ野郎
表から見ると綺麗にパッケージ
されていても、
裏から見るとボロボロの骨組みが
剥き出しになっている。
それこそが人間の姿そのものであり、
それをビルボードに見立てている今作。
主人公のミルドレッドは、
常にその表裏の狭間で揺れ動く。
演じるフランシス・マクドーマンの
どこか一線を越えている狂気じみた
素晴らしい演技もさることながら、
アホで粗暴なディクソン巡査を演じた
サム・ロックウェルの好演が個人的には気に入ったっす。
何故なら、
観客の多くはこのボンクラ警官の人間性
に最も共感するのではないかと思ったからっす。
ミルドレッドほど信念強くはない、
かといってウィロビーの様に聖人にはなれない。
だからこそ、
その中間に位置する最も人間臭い彼には
感情移入できる。
そんな愛すべきクソ野郎として、
大変良いキャラ立ちをしているっす。
軽妙なテンポで娯楽性も高く、
泣くほど激シリアスな場面のあとに
コミカルなやり取りを挟むなど、
作品全体のバランスが大変絶妙なため、
飽きることなく2時間あっという間に
感じる。
善意とは何か?
そして悪意とは何か。
我々の日常生活に疑問符を
投げかけるような、
そんな記憶に突き刺さるような作品っす。
是非ご鑑賞を!
それではこの辺で!
ミズ~リ~!!
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