【江戸と現代ザックリ比較】江戸の『茶漬け屋』が実は超絶偉大だった話

 

江戸時代 現代比較 『お茶漬け』

テヤンデイ!
IWAっす。

今回は江戸時代と現代の
『茶漬け・茶漬け屋』
ザックリ比較します。

 

お茶漬けといえば炊いた米に
温かいお茶を注いでサラサラ頂くあれで、
お酒の絞めや翌日の二日酔い時には
IWAも大変お世話になっている代物っす。

江戸時代にもお茶漬けをメインに出す
『茶漬け屋』が存在していました。

そして、
それがなんと今日の料理屋の始祖と
なっているとかいないとか。

 

今記事では
そんな『茶漬け・茶漬け屋』の

・江戸以前~江戸時代の変遷

・“始祖の料理屋”が出現した件

・現代との価格比較

について触れていきます!

江戸に『茶漬け』が誕生する以前は?

江戸時代 現代比較 『お茶漬け』

今でこそ、
様々な具が乗ったお茶漬けを各所で
頂くことができます。

しかしその起源は、
時短を目的とした食事だったそうで
簡単にその変遷を紹介します。
お茶漬けだけにサラサラッといきましょう。

——————————————

〈平安時代〉

朝廷に仕える官吏や奉公人の皆さん:

「あな忙し、あな忙しや。
食事の時間などまったりとっていられぬ」

「米に水をぶっかけて食べるでおじゃる」

「それなら湯もぶっこむか」

サラサラ…

「おお!これはいと時短!」

水飯湯漬けの誕生

 

〈鎌倉・室町時代〉

城に仕える武家の皆さん:

「ええい忙し、さりとて忙し。
食事の時間など流暢にとってはおられぬ」

「やはり『湯漬け』は大正義じゃ」

 

八代将軍足利義政:(酒の席にて)

「義政、なんだか酔っちゃったみたーい。
超いい気持ちだから、
締めに大好物の『湯漬け』いっちゃうねー」

ジョボボボ…

 

庶民:

「将軍様『湯漬け』超好きらしいぜ」

「俺らもやってみるべ」

水飯湯漬けが庶民へ伝播

——————————————

上記の様に、
江戸時代以前まではまだ茶葉が
流通していなかったために
水やお湯をかけて食していたようです。

この頃までは
それ自体を楽しむ目的ではなく、
あくまで簡潔に済ませる手段として
水やお湯がかけられていました。

また、
一緒に漬物などを食べて
味をプラスしていた
模様です。

 

江戸時代に入り、
茶葉が庶民に広く親しまれると共に
いよいよ『茶漬け』が進撃を始めます。

江戸時代のお茶漬けブーム

江戸時代 現代比較 『お茶漬け』

名所江戸百景 浅草金龍(竜)山:歌川広重

江戸を焼き尽くした
『明暦の大火(1657年)』

その後しばらくして、
浅草の金竜山(浅草寺)の茶店が、
奈良地方特産の茶で炊いた茶飯である
奈良茶を売り出しました。

 

これがバカ売れに次ぐ大評判となり、
江戸中にその噂が知れ渡りました。

新しいものに目がない江戸っ子達は
「浅草で珍しいもの出してるっぽい」
「行くっしょ」
ということになり、当時のその茶屋は
大変にバズッたそうです。

 

その頃江戸では朝に一度炊飯し、
夜はその冷や飯を『湯漬け』にして
おかずと共に頂くのが一般的になっていました。

そこへ『奈良茶』の登場により、
お茶+米=全然ありじゃん!
江戸中が思い知ったのが
『茶漬け』の始まりではないかと
考えられます。

(厳密な発祥については諸説あり)

江戸時代 現代比較 『お茶漬け』

そしてこれを機に、
多くの『茶漬け屋』が江戸中にも
できることになります。

そのため、
この浅草金竜山の茶店は
全ての料理屋の起源ではないかと
言われています。

 

以前より、
簡単な付け合わせと一緒に茶を出す
茶屋は各地にありました。

ただし、
ガッツリ料理も振る舞う
料理茶屋の始祖となったのは
お茶漬けブームの先駆けである
浅草金竜山の茶屋であると考えられて
います。

つまり、この茶屋がなければ
現在日本国内にある外食屋は
ほぼ存在しなかったのではないかとも
推測できるっす。

 

そうです!
「「浅草金竜山先輩えらい」」!

 

ちなみに
当時の『蕎麦屋』の増え方同様、
日本人はあるものが一度流行ると
常軌を逸したのめり込み方をする傾向が
この頃からあったようで、
日本人って今も昔も変わらないのだなと
思ったっす。

まとめ

江戸時代 現代比較 『お茶漬け』

右端の障子に“茶漬”の文字が。東海道五十三次 鞠子宿:歌川広重

 

当時、後に続けとばかりに
大量に店舗数が伸びた『茶漬け屋』。

ただし、
お茶漬け一本で商売していた店は
ほぼなかったようです。

茶飯、豆腐汁、煮染や煮豆などの
比較的調理が簡単な料理を扱う茶屋で
出されたり、
蕎麦屋や酒処で締めの一杯として
提供されていました。

そのため、
お茶漬けメインだけど

お茶漬け以外もあるよ!的な料理屋を
総称し、『茶漬け屋』と呼んでいたものと思われるっす。

 

現代で業務形態が一番近いのは、
だし茶漬け“えん”』さんという
関東と関西を中心に展開する
チェーン店かと思います。

種類豊富なお茶漬けに加え、
丼もの・うどん・おにぎりなど
サイドメニューが充実しており、
まさに現代の『茶漬け屋』と呼べるのでは
ないでしょうか。

(なぜか意図せず宣伝くさい文章になってしまいましたが、比較対象を明確にする為だけなのでご安心ください笑。

 

さて、
江戸時代では茶漬けの上に
梅干し、漬物、鮭、海苔、佃煮、刺身
などの具材を乗せて客に出すのが
主流となっていました。

一杯三十六~四十八文
(約¥432~¥576)ほど
だったそうで、更に高価なところでは
一杯七十二文(約¥864)と値が張ったそうです。

そこで今回は、
『だし茶漬け“えん”』さんの
お茶漬けメニューの平均価格と
上記の値段を比較してみました。

江戸時代 現代比較 『お茶漬け』

※物価やレートによる誤差はご了承ください

上記の様に平均値こそ差があれど、
高価なものに限ってはそこまで大きく
値段は変動していないようです。

それにしても
鯛だし茶漬けうまそうっすね…
今度食べに行こっと…。
(宣伝ではありません)

 

さて、いかがでしたか?
今まで以上にお茶漬けに
親しみが沸いたのではないでしょうか。
お茶だけに。

そして何より、
「浅草金竜山はえらい」
これだけは覚えて帰ってください!

(どんな締め方やねん)

 

それでは、また次回。

 

参考文献:
『だし茶漬け“えん”』HP〈http://dashichazuke-en.com/index.php〉

▼ご依頼・ご提案・取材のお問合せはコチラ▼

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です