【江戸と現代ザックリ比較】『祇園豆腐』は江戸時代一シュールな見世物だった話

江戸時代 現代比較 『祇園豆腐』

テヤンデイ!
IWAっす。

今回は江戸時代と現代の
『祇園豆腐・田楽豆腐』
ザックリ比較します。

 

豆腐といえば、
江戸時代においての普及率が
非常に高かった日本人の国民食

中でも、豆腐を串刺しにして焼いた
『田楽豆腐』は室町時代から日本に
存在しており、
その後江戸・京都・大阪に
広く流布されるようになります。

 

中でも京都の『田楽豆腐』は
その特異さから『祇園豆腐』
呼ばれました。

そこには、当時の
『水茶屋』のアイドルたち
のサービス精神
が関係しているようです。

 

そんな今記事では、

・豆腐=京都でありんす

・SNS(書物の挿絵)映え!『祇園豆腐』

・ザックリ強引にお値段比較

豆腐といえば京都だった江戸時代

江戸時代と現代の『祇園豆腐』をザックリ比較2

豆腐は奈良時代に中国から
伝来したものと考えられています。
そして平安時代には精進料理として、
寺社にて普及していきます。

とりわけ、綺麗な水源と多数の寺社が
存在する京都にて目覚ましい発展を遂げ、
天和2年(1682年)の文献にて
初めて『祇園豆腐』が登場します。

 

『豆腐屋』と呼ばれる売歩きの
登場もあり、江戸や大阪でも
豆腐は庶民の食べ物として
流行していきます。

享保15年(1730年)には、
大阪にて『豆腐百珍』と呼ばれる
豆腐専門のレシピ本が登場します。

これが各地で大ベストセラーとなり、
「重版出来!!」と勢い付いた版元は
翌年江戸でもこの本を出版し、
同じようにベストセラーとなります。

 

こうして、豆腐料理は
江戸時代の定番のおかずとして
人々に広まっていきました。

江戸時代 現代比較 祇園豆腐 食べ物

 

# 祇園豆腐シュールすぎてやばい

江戸時代 現代比較 『祇園豆腐』

豆腐を切る水茶屋アイドル『婦人手業拾二工 祇園豆腐/喜多川歌麿』

当時話題をさらった、
京都の『田楽豆腐』である『祇園豆腐』。

その何が江戸っ子のトレンド心を
刺激したのでしょうか。

 

当時、
京都の京祇園楼門(現在の八坂神社)
入口の両脇には茶屋がありました。

東側が柏屋(中村屋)・西側が藤屋
という店名で、
これらは京都初の『水茶屋』と言われています。

『水茶屋』といえば、
江戸時代の会いにいけるアイドルとして
現代でも有名です。

 

この両店では茶菓子や簡単なつまみの他に、
京都名産の豆腐を使った『田楽豆腐』も
出していました。

ちなみに
この頃の『田楽豆腐』=『祇園豆腐』は
豆腐を薄く切って、味噌のたれ汁で
煮焼きし最後に“はったい粉(麦粉)”を
かけたものでした。

 

そして何より、

この柏屋・藤屋には
“スーパークッキングタイム”
存在しました。

 

この茶屋を含め通常の茶屋では、
調理は店奥の料理場にて
行っていました。

しかし、中村屋・藤屋だけは特別でした。

 

店員の女の子に金一分(約¥20,000)を
渡して「あれやって」と頼むと、

「「ご新規曲切り一丁入りやすー!」」

などと叫んだかどうかは分かりませんが、
軒先に用意されている調理場にて、
『曲切り』というパフォーマンスの幕が
開きます。

これは三味線の音色に合わせて、
“水茶屋アイドル”たちが
豆腐をトントンと包丁で切っていくという
ものでした。

どシンプル…。

江戸時代 現代比較 祇園豆腐 食べ物

 

アイドルたちが豆腐を切るだけの
信じられないくらい低コスト高リターン
このパフォーマンスは大変な評判を呼び、
これを見ようと各地から多くの“水オタ”や
観光客が京祇園楼門に訪れました。

この人気から
『祇園豆腐』という固有の名前までつき、
見事『田楽豆腐』のブランド化に成功します。

 

この人気にあやかり
江戸も大阪もこれを惜しげもなくパクリ、
『水茶屋』の女たちが見世物として
カッティングした『田楽豆腐』は全て
『祇園豆腐』と呼ばれるようになりました。

また江戸も後期になると、
『田楽豆腐=祇園豆腐』には
味噌をぬって焼く調理法が
主流になっていったようです。

 

まとめ

最後に『祇園豆腐=田楽豆腐』の
江戸時代と現代とのお値段を
ザックリ比較していきます。

件の京祇園楼門の東西茶屋のうち
東側の柏屋は現代でも『中村楼』さん
という割烹料理店として営業中です。

こちらのお値段は
一般に公開されていないようですが、
同敷地内に『二軒茶屋』さんという
茶屋も同時に営業されています。

 

そこで今回は『二軒茶屋』さんの
『田楽豆腐』一皿三串¥750
現代の比較価格とします。

一方江戸では、時期によって
豆腐一丁の値段が異なり、
約30~60文の降り幅があったそうです。

しかも現在の一丁(約300〜400g)に
比べて、
約4倍の大きさ(約1200~1600g)を
一丁としており、
しかも一皿五串で出していました。

 

そのため、
計算が超絶ややこしくなりますが
IWAが限界まで死ぬほど頭を
振り絞った結果、
ザッックザクのザックリと
以下のようになりました。

江戸時代 現代比較 『祇園豆腐』

※物価やレートによります

無理矢理現代のサイズに直して
計算してみましたが、いかがでしょうか。

1丁が現代の4倍である江戸。
江戸サイズに戻すと
一皿¥2189という計算になります。

高っ!!

 

厳密には正確な数字ではありませんが、
豆腐の値段が高騰していた
嘉永3年(1850)には、
豆腐一丁約1500円という文献も
残されています。

ですのであながち遠からず、といった
ところでしょうか。

 

↓以下〈数字が好きな方向け計算内訳〉

江戸の豆腐一丁=¥600(30文×1文20円)
2分の1丁を使用したと仮定して
原料価格=¥300

『二軒茶屋』さんの『田楽豆腐』:
定価の原料価格割合=0.137%
(高級豆腐『嵯峨豆腐』
2分の1丁¥103を使用したと仮定)

江戸の原料価格×現代の原料価格割合
¥300÷0.137%=約¥2189
(一皿/江戸サイズ)

現代サイズに無理やり直すと
¥2189÷4=¥547
(一皿/現代サイズ)

※便宜上引用枠使用

 

さて、いかがでしたか?

現代では若干シュールに
感じられなくもない、
江戸時代のパフォーマンスフード
京の『祇園豆腐』。

今も昔も、
女の子たちが音楽に合わせて
せっせと何かをする光景には
お金人が集まるようです。

 

アイドル大国、日本。
今、豆腐を切るアイドルが
登場したら
僕は推していきたいと思います。

 

それでは、また次回!

▼ご依頼・ご提案・取材のお問合せはコチラ▼

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です