![江戸時代 現代比較 『栗餅』](http://iwasaki-art.com/wp-content/uploads/2018/04/edohikaku_kurimochi1.jpg)
テヤンデイ!
IWAっす!
今回は江戸時代と現代の
『栗餅』をザックリ比較します。
あまり聞き慣れない食べ物ですが、
これは江戸時代発祥の和菓子です。
現代でも数は少ないですが、
販売している店は存在します。
そして江戸時代には
『栗餅』作りの光景には
なんと黒山の人だかりが
できたいたそうです。
一体何故でしょう?
今回は
・『栗餅』って?
・団子「I can FLY」
・ザックリお値段比較
江戸のスイーツ『栗餅』
![江戸時代 現代比較 『栗餅』](http://iwasaki-art.com/wp-content/uploads/2018/04/edohikaku_kurimochi2.jpg)
栗餅はその名の通り、
栗をすり潰して一緒にこねた餅・
またはこねた餅に
栗の粉末をまぶしたものを言いました。
そこへ仕上げに豆粉と砂糖、黄な粉
などをまぶして甘さを整えていたようです。
現代では栗を丸ごと餅で包んだものや
ペースト状にした栗を餅に練り込んで
更にまろやかさを重視した逸品など、
時代に合わせ調理の幅が多様化している
点も特徴的っす。
江戸時代では、寺社の本殿の御開帳時や
神事の祭事ごとに際して寺社内に
屋台を出して販売をしていました。
正徳元年(1711年)に
回向院(両国に現存する寺社)で
開催された祭事において、
左官の松屋三右衛門が
これを売り出したのが起源とされています。
祭事以外に販売している店は非常に稀で
存在していなかった可能性もあります。
![江戸時代 現代比較 『栗餅』](http://iwasaki-art.com/wp-content/uploads/2018/04/edohikaku_kurimochi3.jpg)
『栗餅』は江戸のパフォーマンス・スイーツ
『栗餅』とは実は総称で、
実は江戸時代に売り出されていたもの
にはれっきとした名前がありました。
その名前とはずばり、
『飛団子(とびだんご)』。
雑魚忍者が使う最終奥義のような
ネーミングですが、
これには見世物としての調理方法が
由来しています。
まず、
臼でついた餅を手のひらサイズに丸め
そのまま握りつぶします。
すると指の間からグニューンと
それぞれ餅が出てきます。
この分割された餅を団子状に
素早く丸め、豆粉や砂糖が入った盆に
投げ込みます。
臼からこの盆までの距離は
約2メートル(六尺~七尺)あり、
この間、団子は文字通り空を飛びます。
これに群衆は熱狂し、大変に喜んだそうです。
このことから、『飛団子』という名前が
ついたそうです。
しかし当初はこの名前以前に
別の呼び名があったようです。
そもそも、パイオニアの松屋三右衛門が
初めてこれを売り出した際には
『景勝団子(かげかつだんご)』
と命名されていました。
これは大名の上杉景勝の生家が所有する
『鉾(ほこ)』=戦用の武器の先端が
団子の様に丸かったためこの名前にしたようです。
(IWA的には、鉾の先に家紋が付いており
その形が丸かったからではないかと推察
しています。「九曜巴」という家紋です。)
しかし、上杉景勝の豪傑ぶりが
各地に知れ渡るにつれ、
「団子の名前に使ってると怒られそう」
「いくら団子の名前とはいえ大名を
呼び捨てにするのはなんかアレ」
という理由からその見た目の楽しさを
表現した『飛団子』へと名前を変えた
そうです。
そもそも何故始めに
大名の名前を使っちゃったんだと
色々ツッコみたくなりますね。
まとめ
最後に江戸時代と現代とで
お値段を比較してみます。
江戸時代の団子のお値段は
5つ一串で五文(約¥100)でした。
この値段に、
栗や砂糖・黄な粉などの材料費+1個数
を加え、6つで¥200の価格設定と仮定します。
現代の比較対象は、
老舗和菓子店の『赤福』さんの栗餅
としました。
![江戸時代 現代比較 『栗餅』](http://iwasaki-art.com/wp-content/uploads/2018/04/edohikaku_kurimochi6.jpg)
現代でもその取扱いが少ない点や
調理方法に手間がかかる点も踏まえると
やはり現代では割高になってしまうようです。
まあ『赤福』さんですからね…。
いかがでしたか?
是非間近で空飛ぶ団子を
見てみたいっすね!
食べ物で遊ばないようにと
現代的コンプライアンスを
振りかざすのは野暮なので
多めにみたげて~!
それではまた次回!
〈参考:『赤福』HP〉
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