テヤンデイ!
IWAっす。
今回のザックリ比較で取り上げるのは
江戸時代の『菜屋(さいや)』です。
歴史上あまり聞きなれない名前かと
思いますが、これが江戸時代では
独身男性の強い味方でした。
一体何屋さんだったのでしょうか?
今記事では、
・『菜屋(さいや)』とは?
・チョイ飲み営業のはじまり
・ザックリお値段比較
について触れていきます。
江戸時代の『菜屋』ってどんなお店?
『菜屋』は現代でいうお惣菜屋さんです。
その販売形態は屋台や売り歩きを始め、
もちろん専用の店も存在していました。
料理屋とは違い、
主に米のおかずになる品にフォーカスを
絞って販売していたようです。
調理したおかずを店先の棚に並べ、
「こんなん売ってますよ」とアピールを
してお客さんを呼んでいました。
また『菜屋』は『煮しめ屋』とも
呼ばれており、それは販売されている
メニューに由来しています。
全国の食いしん坊たちよ、
お待たせしました。
気になるそのメニューをご紹介します。
以下の食材を醤油でクッタクタのシミシミ
にして販売していました。
・生アワビ
・するめ
・焼き豆腐
・くわい
・レンコン
・こんにゃく
・ごぼう
・大根
・季節の野菜や魚
※その他諸説あり
この素朴さが大変にイイ感じですね。
あれもこれも、とついつい沢山買って
しまいそうっす。
また、アワビは交易品だったため
江戸時代においても、大変貴重でした。
おそらくこういった庶民御用達のお店
においては一日数量限定で出していた
のではと考えられます。
その後の明和五年(1768年)、
日本に新たに四文銭が流通しました。
1文=20円で計算すると
現代の値段で80円。
これを1コインで払えるという手軽さから
四文銭は大流行します。
これにより当時の価格設定が急変し、
多くの店で四文・八文・十六文などの
四文銭のみで支払いが完結できる価格が
一般的になりました。
『菜屋』もこの価格帯を取り入れたため
四文でおかずが食える店=『四文屋』と、
物凄い端折った呼び方で庶民に親しまれる
ようになりました。
それにしても呼び名が
『菜屋』『煮しめ屋』『四文屋』と
三つもあることに日本人の“言葉“への執念
のようなものが感じられます。
サイヤ人・孫悟空・カカロットみたいなノリ
でしょうか。絶対違いますね。
江戸のチョイ飲み文化と『菜屋』の関係
四文で手軽に惣菜が買い食いできる
『菜屋』は江戸中でブームになります。
特にその中心客は、
江戸に勤めていた独身の下級武士たち。
武士といえども当時の下級武士は
大変貧しく、
ほぼ全員が本職の間を縫って内職していた
くらいカッツカツの生活を送っていました。
そのためもちろん、
独り身の武士は飯の支度までに
手を回す余裕がありません。
そこで安く飯にありつける
『菜屋』が彼らの強い味方になった訳です。
そして『菜屋』も、
そんな下級武士に愛の手を差し伸べた…
…つもりかどうかは解りませんが、
遂にお酒の提供を開始します。
元々、惣菜のお供にとお茶や白湯は
出していましたが、
茶屋などでもお酒が出され始めた影響を
受けて『菜屋』も満を持して
アルコールを解禁します。
これが、客にうけ『菜屋』は更に
人気を博します。
それに合わせてメニューも、
焼き魚や刺身などお酒のつまみに
適したものが増えていきます。
安い価格で気軽に一杯やれる
“チョイ飲み”スタイルは
この頃から人気だったようです。
後に、
この“チョイ飲み菜屋(煮売り酒屋)”と
『酒屋』で酒を飲むスタイルが合体し、
『居酒屋』という素晴らしい文化が
めでたく花開きます。
現在よく見かける“チョイ飲み”は
江戸時代には既に存在していたようです。
江戸って偉大。ああ偉大。
まとめ
最後に『菜屋』と現代の
“チョイ飲み料”をザックリ比較します。
江戸時代では
普通レベルの燗酒(熱燗)が
一合(180ml)で約十二文(約¥240)
でした。
これに四文・八文・十六文の肴を
1品ずつプラスした、
四十文=¥268を江戸時代の比較価格
とします。
現代の比較対象は川崎にある
『元祖立ち飲み屋』さんの価格を
算出します。
さすがに江戸時代の方が安価ですが、
『元祖立ち飲み屋』さんも
中々リーズナブルで、
漱石1枚でほろ酔いになれる気軽さは
“現代の『菜屋』”とも呼べるのではないでしょうか。
いかがでしたか?
江戸時代も現代も”チョイ飲み”とは
隙間産業的に庶民に
親しまれていたようですね。
いつも”チョイ飲み”からの”悪飲み”
そして二日酔いが定番コースのIWAも、
そろそろ”チョイ飲み”で切り上げる美学を
覚えたいっす。
(3杯目のビールを流し込みながら)
それではまた次回!
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