【浮世絵付き】『ダンケルク』を3分でレビュー

 

映画 ダンケルク 浮世絵風 似顔絵 和風 かっこいい 日本風 イラストレーター 筆ペン Kenji Iwasaki 岩崎健児ボンジュール!
好きなジャムはブルーベリー、IWAっす!

 

今回は『ダンケルク』を
和風・浮世絵風イラスト付きで
3分でレビューっす!

フィルモグラフィを挙げるのももはや野暮に感じられる、みんな大好きクリストファー・ノーラン監督作っす!

 

出世作『メメント』で、映画作品の既成概念をひっくり返したノーラン氏。
『ダークナイト3部作』と呼ばれるバットマンの”大人向け化”に成功し、
夢の中の構造を完全に手玉にとり、観客に強烈な”キック”を喰らわせ一大センセーションを巻き起こした『インセプション』。
哲学性と娯楽性を高い水準で両立させた傑作SF『インターステラー』などを生み出したっス。
同時に『プレステージ』(監督)や『トランセンデンス』(製作総指揮)など、興収に関わらずナニコレ的な迷作を世に送り出してきた人物でもあるっす。
また、昨今のDCヒーローのユニバース映画であるDCEUの製作総指揮に名を連ねるなど、“手放しでは誉められないけどとりあえず天才”という評価がIWAの中では定着しているっす。

 

ノーラン監督が初めて史実に挑んだ今作『ダンケルク』。
それでは3分映画レビューの出航っす!

※作品の核心に触れる記述はあんまりありません

 

常に見えない脅威

1940年5月、第二次世界大戦期。
ドイツ軍はベネルクス3国とフランスへの侵攻を開始。
英仏連合軍は背後に海峡が迫るダンケルク地帯に追い詰められる。
砂浜への空爆が激化する中、若き兵士トミー(フィン・ホワイトヘッド)は仲間と共にダンケルク脱出の機を必死に模索する。
彼らの救出の為に民間小型船舶の船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)は、息子とその友人と共にイギリス本土から戦地への船出を開始する。
一方上空ではダンケルク空爆阻止の為、イギリス空軍の戦闘機3機が交戦を始めていた。
隊長機が追撃される中、スピットファイアを操るファリア(トム・ハーディー)は燃料計の故障に気付きながらも戦闘を続ける覚悟をする。
かくして、兵士40万人もの命をかけた決死の”撤退作戦”の幕が上がる。

 

この大規模な撤退作戦の名称は「ダイナモ作戦」と呼ばれている。
そもそも英仏連合軍がダンケルク海岸線に追い込まれるまでになったのには、これ以前にいくつかの段階が存在する

ドイツ軍がベネルクス3国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)とフランスへの侵攻を開始し、イギリス遠征軍とフランス軍がベルギーのディール川沿いに防衛線を築く。
しかしドイツ軍はこの防衛線を迂回し、戦車走行が不可能と言われた森林地帯を抜けダンケルクに進軍した。
背後を突かれた英仏連合軍は海岸線に追い込まれ、海への退路に頼るしかなくなったのである。

 

今作ではこの経緯は省かれ、「ダイナモ」という作戦名すら登場しない。
それどころかイギリス本土の作戦司令部の様子も描かれず、「ダイナモ作戦」を承認したチャーチル首相は名前しか登場しない。
戦争映画にもかかわらず、敵のドイツ軍に至っては兵士数名がぼやけて映るのみだ。
この徹底した個人視点の構造理由は、戦争に投げ出された名もなき”参加者”たちの視点を突き詰めて描いているためだ。

 

“参加者”からすれば状況が目まぐるしく変化し、今何が起きているのかが解らない。
前線を必死で抜け海岸に辿り着いたトミーは、長い兵士の列を目にして愕然とする。
そうこうしているうちに、画面の外から(これが本当に怖い)戦闘機の爆撃が降り注ぎ目の前で他の兵士が死んでいく。
そこには観客に戦況を把握させてくれる”神の視点”など存在しない。
常に脅威は”参加者”の視野の外から現れる
この情報の排斥こそ、観客をトミー同様の”参加者”として戦地に叩き込む最大の効果を持っている。
鑑賞中は息が詰まるほどに緊張し、常に画面の外からの脅威に怯えることとなった。

しかし状況の情報不足を補完しているのは、異なる時間軸を組み合わせた語り口だ。

 

“帰りたい”-防波堤
“救いたい”-海
“守りたい”-空
異なった目的意識を持った、
それぞれ3つの柱で物語は構成されている。

兵士、民間人、パイロットという”参加者”たちの小さな視点を観客にトレースさせることにより、戦況という大きな全体像を理解させる。
それと同時に、様々な視点で進行するそれぞれの戦争が描かれる
そこには否応なくドラマが生まれ、それらがラストに向けて収束していく作りはシンプルながらやはり強力な物語の推進力となる。

ミスター・ドーソンが英国兵に向かって、
「戦争を始めたのは我々の世代で、子供たちを戦場に送ってしまった」
という台詞が大変印象に残った。
彼が戦地に向かう動機は使命感からくるものであることはもちろんだが、戦争に対する一種の責任の様なものを感じているからかもしれない。
ドラマ性から生じるキャラクターへの感情移入を促す流れも、”参加者意識の構築”を基盤とした今作は至極スムーズに行われており全く嫌味がない。

 

今作の劇判を担当したのは巨匠ハンス・ジマー。
冒頭のオープニングソングであるThe Moleは時計の秒針がリズムを刻む曲だ。
この曲が流れ出すのはトミーがドイツ軍の銃撃を喰らった直後。
まさにダンケルクの戦いという”歴史”が今始まったことを知らせる。
そして今作のラストが、一体何の音で締めくくられているか。
それは、新聞をめくる音

多くの者が命を落とし、多くの者が必死に戦い自身に出来る事を全力でやり遂げた。
そんなダンケルクの戦いが歴史の1ページとなって、史実のアーカイブに刻まれた。
それを表現するうえでこの新聞の音以上に適切な音があるだろうか
細かい箇所だがIWAはこの演出に鳥肌がたってしまった。

 

画作りの面でも、今までのノーラン作品の例に漏れず我々が見たこともないものを見せてくれる。
固定カメラを用い、砂浜への爆撃が画面奥から次第に迫ってくる画で本能的な恐怖感を煽る。
戦闘機の音に兵士達が身を低くし、それが今度は画面奥へとウェーブしていく様子。
兵士たちが乗った船体を画面の右側に固定し、真横の左から海面が迫ってくる画。
等など、平面のスクリーンに対して三次元的なアプローチをとり画面構成の限界に挑んでいる。
「ああ、ノーランの映画を観ている」としみじみ思ってしまう瞬間であり、それは毎回新鮮な体験である。

 

異なる長さの時間軸を組み合わせていることで、やや話自体が汲み取りづらくなってしまった点は残念だ。

また、ケネス・ブラナー演じるボルトン海軍中佐のキャラが最後まで定まらず困惑した。
撤退作戦には序盤消極的であり、
彼が何か言うたびにウィナント陸軍大佐(ジェイムズ・ダーシー)が逐一オドオドするというコントの如きシーンがあるが、何故か終盤になると不時着するスピットファイアを見て今作の誰よりも晴れやかな顔を見せるやすぐに士気を取り戻す。

今まで特に何もしていなかった様だが最後の最後に島に残る決断を見せ、またもやウィナントを困惑させるなどその小悪魔っぷりには余念がない。
このキャラクターに関してだけはやや改善の余地があったかもしれない。

そして最後にこれだけは言わせて欲しい。
ファリア!!あんたかっこよすぎ!!!

 

今回はここまでっす。
元々短い上映時間があっという間に感じる作品でした!
それではジャムパン食べて歯磨きして就寝っす!

明日に向かって敬礼~!

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