【浮世絵付き】『ベイビー・ドライバー』を3分でレビュー

映画『ベイビー・ドライバー』 浮世絵風似顔絵

Brrrr!
かれこれ6年程ペーパードライバーのIWAっす!

 

今回は『ベイビー・ドライバー』を3分でレビューっす!
イギリスの鬼才エドガー・ライトが放つ、カー”ミュージカル”アクションっす。
公開直後から『カー・アクション版ラ・ラ・ランド』という他作品の皮を被せられる若干無礼な評され方をされていた今作。

 

IWAは今作を上映終了間近のレイトショーへ1人駆け込んで観たっす。
そのため「人も少なかろうで、集中してゆっくり観られるだろうて」と
ご隠居テンションでいたのですが上映直前に座席を埋め尽くしていたのは、

イケてるカップル! イケてる夫婦!
イケてる外人グループ! イケてる女性グループ!

そしてお一人様のIWA。

ちくしょおおおおお

と湧き上がる屈辱感をなめさせられた訳ですが、同時に今作の集客効果には驚かされたっす。
こっそりと涙を拭いつつスクリーンを刮目したIWAの目には何が写ったのか!

 

それでは3分映画レビュー、
アクセル・オン!!

※作品の核心に触れる記述は多め

母性への旅路

過去のある事故がきっかけで耳鳴りが止まず、常にiPodから音楽を聴いているベイビー(アンセル・エルゴート)。
イヤホンで音楽を聴くことで耳鳴りが止み、天才的ドライビングテクニックを発揮する彼。
訳あって犯罪者たちを現場から車で逃がす仕事をしている彼は、行きつけのダイナーでウェイトレスのデボラ(リリー・ジェームズ)に出会いお互いに惹かれ合っていく。
大きな貸しのある雇い主のドク(ケヴィン・スペイシー)に最後の仕事を頼まれ、ベイビーを含めた犯罪チームが組まれる。
多少のトラブルに見舞われながらも最後の仕事をやり遂げたベイビーだったが、この日から少しづつ彼の運命は狂わされていく。

 

冒頭の圧巻の逃走劇に、早くも傑作認定がチラつく。
次にレトロ・クールなタイトルカットから長回しのオープニングが始まる。
このシーンでは、街中にあらゆる音が満ちていることを描写する。

人の話し声や車のクラクションなどがこだまする中、ベイビーはイヤホンを耳に付けたまま悠々と踊り歩く。
彼にとって外部の世界の音は全て雑音でしかなく、iPodから流れる音楽を聴きながらひたすら自分の世界に没頭する。
外の世界を遮断し、光の届かないサングラスの奥で自分の好きな音楽だけを聴く。

彼はポップスの歌詞に頻出するベイビー(愛する人)ではなく、
あくまでベイビー(幼児)なのだ。
そんなベイビーの幼児性を的確に表した優れたシーンである。

 

見せ場である、銃撃戦と音楽のビートがシンクロしていく様は見事という他ない。
というかエドガー・ライトやっぱ最高だよあんた!

ワイパーの動きやギアチェンジ、車の衝突音などに絶妙に音楽がマッシュアップし、今まで見たことのない計算し尽くされたアクションシーンに富んでいる。
この一連の“ミュージカル”は必見だ。最高。

 

ベイビーには人の声を録音しサンプリングする趣味があるが、これは文字通り他人や外部の声を素材としてしか認識していないという皮肉だ。

数あるカセットテープの中で彼がいつも目を止めるのは、決まって母親の歌が吹き込まれた”Mom”だ。
つまり、チグハグにサンプリングされた他人の声は彼にとってその他多くのゴミでしかない。
彼がいつでも本当に求めているもの、それは母性だけなのだ。

 

ベイビーの周囲の男たちは、ことごとく狂気と暴力を体現しているかの様なやつらばかりだ。
これは、いかにベイビーが男(父)に対して不信感を抱いているかの表れだ。

唯一共通の音楽を通して、心が通じた男がバディ(ジョン・ハム)である。
彼とベイビーがイヤホンを分け合って
Queenの『ブライトンロック』を共に聴く場面は他人を遮断し続けてきたベイビーが、一瞬心を開きかけるとても温かく忘れ難い場面だ。

バディはダーリン(エイザ・ゴンザレス)と深く愛し合っている。
そのため、ダーリンの事となると人さえ殺す様な凶暴な人物だ。

自分の女の事で攻撃的になる性格は、ベイビーの実の父と重なる部分がある。
そのバディと対峙するということは、ベイビー自身の忌まわしい過去から決別するということだ。
ここでベイビーの”幼年期”は終焉を迎え、逃避行の末に自ら警察の前に名乗り出てゆく。
逃げることをやめ、自らの罪を清算する位には大人にはなれたということである。

 

やや不満な点としては、全編通してベイビーが甘やかされすぎ!ということだ。

デボラ(リリー・ジェームズ)は、ベイビーが犯罪に加担していると知った後でも彼を愛し続け、仮出所までの5年間変わらぬ愛で彼を待っている。
まさに、ベイビー(含め我々)が求め続ける“最強の母性”というわけだ。
それまで冷徹で合理的態度を崩さなかったドク(ケヴィン・スペイシー)でさえ、2人の関係にほだされ身を犠牲にしていく。

ケヴィン・スペイシーのそれまでの素晴らしいキャラ造形(本当に最高の演技)がラストで崩れてしまったのには残念だ。
最後まで冷徹なキャラクターで通して欲しかった限りである。

 

また、ラスト付近の裁判での証人喚問のシーン。

ベイビーを弁護する陳述が並ぶが、しかしながらベイビーがやってきたことは紛れもない犯罪行為である。
いくらやらされていたという設定があろうが、無関係の人間まで巻き込んで惨事を起こしていたということには寸分違わない。

最後の最後で赤ちゃんばりに主人公を甘やかしているため、我々観客にとって爽快感は得にくいラストとなってしまった。

 

外部を拒み続ける為の音楽が、実はベイビーにとっては世界と繋がることができる唯一のツールであるという点が大変切ない。
何かに依存しなければ生きていけない我々の胸の中にも、きっと”ベイビー”は存在しているのではないだろうか。

 

今回はここまでっすー!
ブレーキブレーキ!
それではまた次回!

ブロロロロ…

 

2017.10.2

Kenji Iwasaki

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