【浮世絵付き】『レディ・プレイヤー1』を3分でレビュー

映画 レディ・プレイヤー1 浮世絵風 似顔絵 イラスト 和風 かっこいい 日本風 イラストレーター 筆ペン Kenji Iwasaki 岩崎健児 

どうも、IWAっす。

 

今回の浮世絵風似顔絵付き
3分映画レビューは、

『レディ・プレイヤー1』っす。

 

巨匠スティーブン・スピルバーグが贈る
ポップカルチャー要素をふんだんに
詰め込んだSFアドベンチャーです。

主人公の少年が足を踏み入れるのは
VR(ヴァーチャル・リアリティ)の
世界。

原作は今回脚本も務めた
アーネスト・クラインの小説
『ゲーム・ウォーズ』。

何世代にも渡ってスクリーンから夢を
発信し続けてきたスピルバーグが
VRという題材をどう料理したのか?

彼のことですから、
当然VRワールドの描写にのみ
注力している訳はないだろうと
思いながら劇場に足を運んで
観てみました。

しかしその結果、
期待以上のものを観せられてしまい
目ん玉が全速力で飛び出してしまった
のでそのあたりをレビューしていこう
と思います。

 

それでは3分レビュー!

オアシース!

 

※ネタバレ多め

あらすじ

西暦2045年。
世界的な人口増加により貧富の差がより拡大した地球。
エネルギー問題、異常気象、政治機構不全などの問題の解決を既に人々は諦めていた。
そんな人々が唯一夢を見られるのは〈オアシス〉と呼ばれる仮想空間だった。

そんな中、
「〈オアシス〉に隠された”金の卵”の発見者には全財産と〈オアシス〉の運営権利を譲渡する」とした創始者の一人、ハリデー(マーク・ライランス)の遺言をきっかけに”金の卵”に辿り着くための”三つの鍵”の激しい捜索戦が始まる。
5年後、未だに見付からない”鍵”を求め貧困層の少年ウェイド(タイ・シェリダン)は今日も〈オアシス〉にダイブするのだった…

虚構と現実の
描き分け方はもはや職人級

“現実世界との折り合いの付け方”
スピルバーグはいかにして描くのか?

この一点こそ、
この映画の最重要確認事項であると
思い僕は観ていた。

 

もちろん、
ゲーム・特撮・アニメ・TVドラマの
それこそ初見では捉えることなど
出来るはずもない程の
膨大すぎるポップカルチャー要素の
アッセンブルはこの作品の重要な
花形だ。

ただし、
そういった映像的な”にぎやかし”を
観客に見せることに関しては
天下のスピルバーグにとっては
もはや朝飯前。

 

もちろん、
それらを登場させるタイミングや
各作品のファンを納得させる演出などの
手法は綿密な協議が必要だと思われる。

しかし今一度言うと、
そこをまとめるのは天下のスピルバーグ。
観客が求める”映像的及第点ライン”など
今作においても易々と超えてくる。

 

クライマックスの決戦シーンなど
“良い意味で最高にイカれてやがる”としか
言いようがない。
チャッキーの件などはもう拍手喝采だった。

他にも、
映画『シャイニング』にまつわる
シーンではまるで作品内に
今作が迷い込んでしまったかの
ような今まで感じたことのない錯覚を
覚え、大変新鮮でなおかつ
ファン大歓喜の滅茶苦茶おもしろい
シーンとなっている。

 

しかし、
そんな映像力のみに頼らないのが
この作品(というかスピルバーグ)の
強みで、仮想空間内で起きた惨事と
現実世界の状況とを同時進行させ、
両世界をキチンと相互関係で
結び付けている点が何より素晴らしい。

 

〈オアシス〉での友人たちが
実際に現実世界に現れた時の高揚感や
“やっと会えたね感”には、
ここで既に涙腺が緩みかける。

主人公と彼らは既に〈オアシス〉内で
共闘関係にあるため、
“仲間になっていく過程”の描写を省く
ことができる。

これにより物語のスピード感を
落とすことなく、
またチームワークの良さにも全く違和感を
感じさせない作りとなっており見事だ。

 

物語の最初の見せ場である、
レースシーン(裏面が最高)
まで〈オアシス〉の映像的な魅力で
引っ張り、
二幕目は現実のサスペンスドラマに
移行する。

そしてクライマックスでは
その両要素を呼応させ虚実入り混じる
ロジカルな展開を提示する。

恐らくこの手の題材に対して
これ以上に完璧な物語構成はない
のではないだろうか。

 

現実の人同士の絆により
仮想空間が維持され、
仮想空間での行いが
現実をより豊かにしていく。

そんなポジティブな相互関係
この作品は提示しており、
現実世界も捨てたものではない
と素直に思わせてくれる力に
満ちている。

 

全ての”作り手”は号泣必死

多様なカルチャーアイコンが
怒涛の様に押し寄せる今作。
その一つ一つに多大なリスペクトが
感じられる。

 

それだけではなく、
我々の様な
“ものづくりをする人間”に向けた愛
この作品には多大に溢れている。

大変感慨深いのは、
3つ目の”クリスタルキー”を
手に入れる為に主人公が
あるレトロゲームをプレイする場面。

この一連のシーンにおいて
明らかになる、

「目的はゴールではなく、
どうプレイするか?」

というメッセージ。

 

そのレトロゲームにおける、

“見えない領域をひたすらウロウロして
小さなドットを集めると最終的に
人の名前が完成する”

という隠し要素の提示は、
明らかに我々の
人生という名のゲームを優しく肯定
するものだ。

 

人生のゴールや夢は人それぞれ異なる。

しかし、そのゴールに辿り着けない
人の方がこの世界には圧倒的に
多いのではないだろうか。

大きな夢を叶えたいが、
経済的・時間的・身体的諸々の理由で
多くの人は夢を叶えることができないでいる。

とかく、僕の様な絵描きや
物作りをする人達にとって
辿り着くべきゴールなど常に更新されて
いくものであり、より高みに登る為に
より高い目標と独自性を掲げる必要が
あるため終着点などないに等しい。

 

それを踏まえたうえで、
このレトロゲームのシーンは

“ゴールには辿り着けなくても
手探りで見つけてきた
その限りなく小さな何かが
人の名前=その人の人生を形成していく”

という大変温かいメッセージを
語っている。

 

人生というゲームの
“プレイヤー1”である我々観客に向けて
こんなにも愛のあるメッセージを
送ってくれたことに、
ここで僕の涙腺は修復不可能な程に
ぶっ壊れました。

この世界の全ての”作り手”たちの
ハートに間違いなく刺さる名場面っす。

 

そして、
大好きな物に囲まれた温かい部屋を
人間いつかは出て行き
みんな大人になっていく。

そんな終盤の少年時代のハリデーの
シーンで僕の涙腺ダムと鼻水ダムは
決定的に崩壊したのでした。

 

ですが大変遺憾な点がございます

難を挙げれば、
“鍵”を探す謎解きががややスムーズに
運びすぎでは?
と思った点。

他にも主人公以外の4人の
バックグラウンドの描き込み不足
という点にも不満が残ったっす。

 

加えてここだけは許せない点として、
ラストにおいて
主人公たちがトレーラーを
降りて群衆に迎えられる場面で
わざわざエイチ=ヘレン
(リナ・ウェイス)を外した画

 

普通にここ全員が温かく
出迎えられる場面で良くない?

その直前でエイチをわざわざ呼び出して
白人と有色人種だけ残して
彼らが称賛される画を撮ったのはなんで?

ソレント(ベン・メンデルソーン)の
部屋に監視カメラを設置しただの
なんだのとかいう、
流れ上、全く必要のない呼び出し
だったと思うんだけど?

彼女、物語において
一番の功労者だと思うんだが?

なんなの?
まさか移民系黒人という設定だから
外したの?

 

だとしたら
いかに天下のスピルバーグといえども
アタイ、ゆるさへん。

 

まとめ

さて、長々と綴って参りましたが
この『レディ・プレイヤー1』は
こんな作品です。

・仮想世界だけでは終わらせない構成の妙!

・『シャイニング』は絶対おさえて観るベシ!

・控えめに言っても”傑作”です!

 

是非ご参考に!

 

それではこの辺で。

IWAでした。

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