【浮世絵付き】『ヴァレリアン/千の惑星の救世主』を3分でレビュー

映画 ヴァレリアン 浮世絵風 似顔絵 Kenji Iwasaki 岩崎健児 和風 かっこいい 日本風 イラストレーター 筆ペン 

どうも、IWAっす。

 

今回は
ヴァレリアン/千の惑星の救世主
を和風・浮世絵風イラスト付きで
3分でレビューっす!

フランスの国民的バンド・デシネ原作
の実写化作品です。

バンド・デシネとは
主にベルギーやフランス圏で
読まれているコミックのことを
指します。

監督は
『フィフス・エレメント』や
特に『LUCY/ルーシー』で
一皮むけた感のある
リュック・ベッソン。

 

今作は興業的には
世界中で全全全滅したようです。

しかしSF系全般に目がないIWAは
原作コミックまで律儀に読み込んで
臨んでみたっす。

果たしてその成果はいかに…

 

それでは3分レビュー!
デハハハ~ン!

 

※ネタバレは少なめ

あらすじ

西暦2047年。
連邦捜査官であるヴァレリアン(デイン・デハーン)とローレリーヌ(カーラ・デルヴィーニュ)は、砂漠の惑星キリアンに潜入し、希少生物の”コンバーター”を捕獲する任務を担っていた。
それはやがて巨大な宇宙都市”アルファ”を巻き込んでの邪悪な陰謀へと発展していく。

夢と新鮮さを兼ね備えた
最高の前半部

この『ヴァレリアン』は
SFとして致命的な弱点を持った
作品である
ことは確かっす。

ただし、これだけは褒めたい要素として
オープニングシーンが大変素晴らしい。

 

デヴィット・ボウイの
『Space Oddity』にのせて
巨大都市”アルファ”の建造と共に
異人種たちと地球人が
次々に握手を交わしていく。

始めは地球の諸外国の人間達との
コンタクトを描いていくのだが、
次第に異星人が登場し、
両者とも戸惑いながらも
“握手”(またはそれに準ずるもの)をしていく。

この場面は宇宙の拡張と共に、
観ている我々の
「ああ!遂に異星人とコンタクトしている…!」
という“SFに抱く夢”が広がりんぐ
する最高にアガルシーン。

テンポも非常に良く、
作品の導入部としては
これ以上のものはない
のではないかと思う。
ウッキウキになること
間違いないなしっす。

 

それに続き、
「監督は気でも触れたのか」
と思う程に美しい、
ミュール星という惑星の描写を経て、
ようやく我らが
ヴァレリアンとローレリーヌの任務が描かれる。

 

砂漠の惑星を舞台にした見せ場では
ゴーグルを通して見える領域
存分に活かしたスぺクタルが展開される。

領域1において変換器を装備して
体の一部のみを領域2に実在させ、
そこで生じる
両現実のズレを利用したアクションを
描くこの一連の場面は大変新鮮だ。

二つの領域を並行させながら、
時には観客が理解しやすいように
両領域のチャンネルを切り替えて
展開する配慮にもとても好感が持てる。

今まで見たこともないこのギミックは
今作最大の花形と言っていいと思うっす。

 

主演二人のカップリングの相性も絶妙で、
彼らの魅力のみが今作の最大の
推進力となっている。

“現実”に着地してくれない

映画『ヴァレリアン』 浮世絵風似顔絵 Kenji Iwasaki 岩崎健児

主演二人は健闘していました

さて、ここまでの段階を踏んで
「これはイケる作品なのでは?」
と期待を持たれた方。

ご安心ください。
そんなことはありません。

 

10歳の頃から
原作『ヴァレリアンとローレリーヌ』の
熱烈なファンであり、
自社のありあまる富を惜しげもなく
投げ打り自身所有の広大なスタジオで
撮影を完結させてしまったベッソン監督。

そんな
“俺が作りたかったヴァレリアン”
である今作は確かに、
色彩設計やガジェット構築など
『ヴァレリアン』のSF的世界観への
アプローチだけは成功している。

 

つまり
それ以外は全て杜撰(ずさん)
と言っていいっす。

 

かつて、原作者の一人である
ピエール・クリスタンは
次のような言葉を残している。

「SFは現実を”加熱”させるための素晴らしい手段だった」
『ヴァレリアン』/小学館集英社プロダクション発行より

つまり、SF的要素は
現実の豊かさを際立たせる
ための表現方法であると述べている。

これを通して今回の
映画版『ヴァレリアン』を観るに、
リュック・ベッソンは
SFとは『アバター』的なものである
という認識のみを信じている
のではないかと疑いたくなる。

 

冒頭で述べた今作の致命的な弱点
とはまさにその認識の弊害である、
ビックリするくらい
人間が描けていない点。

通常、人物描写も含め、
ストーリーの導線の引き方や
必然性のある場面説明などは
“劇中内の現実パート”が担うものと
僕は考えているっす。

つまり観客は、
劇中の人物同士のやり取りと
そこで生じる利害関係とを理解することで
物語の導線を追いかけやすくなる。

その過程で
SF的要素が介入し、
更に物語が面白くなるのではないか。

 

しかしながら、今作は
初めから黒幕感ビンビン
司令官(クライブ・オーウェン)

“何もしなさ過ぎ”
司令官代理(サム・スプルエル)。

拉致する相手を完全に間違えている
パール人。

など、現実感を担うはずの人物たちの
描写が笑ってしまうほど壊滅的っす。

 

そのため、観客は
今ストーリーの目的は何なのか?

何故この場所に行かなければ
ならないのか?

何故このキャラクターが必要なのか?

といった諸々の混乱を引き起こし、
物語の必然性を見失ってしまう

 

更にラストシーンで
ヴァレリアンがローレリーヌに
“ある物”を渡す。

これこそが
それまでの展開を一気に裏切り、
ひいては作品全体のモラルまで覆す
“サイッテー!”な代物。

しかも、
劇中ではそれが
“なんて素敵な展開!”扱いされている。

このラストを見て、
リュック・ベッソンは
もはや人物を描くことになど
興味はないのだと痛感してしまったっす。

SFにおいて人物という現実感を欠くと、
こんなにも作品の質が下がってしまう
ものかと痛々しく思ったっす。

 

あと、バブル(リアーナ)の扱いは
本当に許さない。

まとめ

●前半部分を観たら帰ってよし

●主演二人のマッチングだけは絶妙

●人間描写にはとっても難あり

と、なりました!
参考にしてみてはいかがでしょうか。

 

それでは、また次回。

デハハハハ~ン!

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